自分が今してる判断・行動が、本当に自分がやりたいことへの判断・行動なのか見直してみるときが必要です。
親の顔色をうかがって、行動してないか!
常識的にこう行動するのが、普通だ!
先生が◯◯校受験した方が良いと言われ従う。
自分で判断しない事は、楽だし何となく安心ですよね。(常識的に生きてるから?)
知り合いの息子さんの同級生が、一流の大学から一流企業に就職したけど三か月で辞め今引きこもりになっているという話を聞きました。
話を聞き疲れを感じ、人の親として心配してしまいます。
親や先生は常識から一番良いものを勧めますが、どこかで無難な事を人には勧めるてしまいます。
勧められた方も、それに乗りその時はひとまず安心してしまいます。
でも人生辛いことや、嫌なことが多くあります。自分で決めたことでなかったり、世間体で決めたことは挫折しやすく、失敗を他人のせいにしてしまいがちです。
先程の息子さんも、思考を止め安心感だけで進路を選んでしまったのかもしれません。
一流大学から一流企業に入る事は、その内部の人たちは選りすぐりの一流ばかりで、その先もずっと競争が続く訳です。
それを勝ち抜けるエリートは、ほんの一握りですよね。
子供の時競争だけの人生を、想像できたのでしょうか?
今の不安・不幸が、人生のすべてと感じてしまっていませんか。
中国の故事に「万事塞翁が馬」という話があります。コトバンクより引用します。
「淮南子―人間訓」に載っている話から。中国の北端、国境の「塞(とりで)」の近くに、占いが得意な「翁(老人)」が住んでいました。あるとき、彼の飼っていた馬が逃げてしまったので、みんなが同情しましたが、彼は「これは幸運が訪れる印だよ」と言います。そして、そのとおり、逃げた馬は立派な馬を連れて帰ってきました。そこでみんなが祝福すると、今度は「これは不運の兆しだ」と言います。実際、しばらくすると彼の息子がその馬から落ち、足の骨を折ってしまったのです。またみんなが同情すると、彼の答えは、「これは幸運の前触れだ」。息子はその怪我のおかげで、戦争に行かずにすんだのでした。
「万事塞翁が馬」とは、幸福と思える事が不幸になり、不幸に見える事が幸福へと移ろいで行くということです。これは、人生の定めですね。
一流大学を出て一流企業に入ったことは幸福に見えます、会社を辞めたことは不幸と見えます。
人生を、一部分だけ切り取って良いとか悪いと判断してはいけないということです。
自分で決めて進むということが根底にあれば、幸・不幸に流されて行かないものです。
とは言っても、これをやっておけば安心と思いたいのが人ですけどね!
コメント